一般社団法人北海道中小企業家同友会釧根事務所

硫黄山開発が釧路の都市形成の端緒、幹部大学で高嶋氏


 同友会釧路支部は幹部大学第5講を2月8日に開き、釧路公立大学の高嶋教授が、鄙びた漁村にしか過ぎなかった釧路が東北海道を代表する都市に発展した要因について講演し、19世紀末の川湯の硫黄山開発が大きな契機になったことを指摘しました。

 高嶋氏は釧路市が発展した要因として、「1884年に鳥取から入植した士族、1885年の標茶集治監の開設、そして1887年の安田財閥による硫黄山の開発の三つがあげられる。特に硫黄山開発が重要だ」と語りました。重罪犯を集めた集治監の開設によって原野の標茶に突然5000人の街が誕生しますが、その囚人を使って安田財閥は硫黄採掘の鉄道を敷設しました。結果として標茶に物資を供給する商業者が釧路に住み着きます。「標茶から釧路まで釧路川を利用して蒸気船で硫黄を運んだが、蒸気船の燃料である石炭を春採湖の周辺から採掘した。これが釧路炭田の黎明となった」と解説しました。

 「硫黄山は僅か十年で掘り尽されたが、遺された硫黄山鉄道で釧路駅が設置され、1907年には旭川と釧路の間に鉄道が全通した。石川啄木も釧路駅に降り立ち詩を詠むことができた。硫黄山がなければ釧路の都市形成は大幅に遅れた」と述べました。

▼高嶋弘志釧路公立大学教授

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