一般社団法人北海道中小企業家同友会釧根事務所

米町から始まった釧路の歴史 釧路支部幹部大学第五講


 釧路支部(亀岡孝支部長)は10日に幹部大学の第五講を開催し、釧路公立大学の高嶋教授が釧路の歴史について講演しました。
 冒頭で江戸時代の釧路について「会所と呼ばれる商人の事務所が現在の米町にあり、商人は労働力としてアイヌを会所の米町近辺に住まわせた。米町から釧路の歴史は始まった」と語りました。
 明治時代まで釧路は隣町の厚岸と人口などほとんどの面で差はありませんでした。高嶋氏は釧路が発展した要因について鳥取士族が入植、標茶に集治監の開設、安田善次郎による硫黄山の開発の三点を挙げ、「全国の重罪人を収容する集治監の開設によって、原野だった標茶に5500人の街が誕生した。その囚人に硫黄山の採掘をさせ、硫黄運搬のための鉄道を敷設した。結果的に標茶に物資を供給する商人が釧路に住み着いた」と解説しました。
 明治40年には釧路と旭川間の鉄道が完成しました。現在のプリンスホテル近辺に釧路駅ができ、人々は駅周辺に移り住むようになりました。「大正9年に鳥取村に富士製紙が創業した。その事業税によって村民の税金が大幅に軽減され、町民は釧路から鳥取村に住むようになった。鳥取村は、農村地帯から住宅街へと変貌を遂げ、やがて釧路市と合併した。米町から始まった釧路の歴史が西へと移行した」と述べました。(記:吉本勝)

※第六講は2月18日(金)18時から、まなぼっと602教室で「中小企業の生き残り戦略」と題して、タカオ工業の岩口常務と美警の三上社長が報告します。

▼釧路の歴史を語る高嶋氏

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です