田中宇(たなか・さかい)氏の講演に思う
幹部大学同窓会幹事 森川浩一
公開セミナーが無事終了しました。関係者の皆様大変ご苦労様でした。国際情勢に関心がなかった方にはちょっと酷な内容だったかもしれません。また今までの 歴
史やマスコミ・テレビで流布されることしか情報の源しかない我々にとっては講師が自ら言っていた「陰謀論者」「謀略史観」のように感じられたかたも多 かったのではないかと感じました。
私が感想を聞いた幾人かの人達も感想はそれぞれでしたが、興味深いという人もあれば、見方が変わったという肯定的な意見もあれば、まやかしである、過激だというようにと様々でした。皆様はいかがでしたか?
さて今回の講演会の総括はまた別の機会にやらなくてはなりませんがポイントは4点あったように思いますのでまとめてみました。
第一点目として田中氏の立場です。
私としては本当の意味での中道であって右でも左でもない、そして過激なことを言っているとも感じられません。ただし既存の歴史やいわばマスコミを疑ってかかる姿勢を過激と言っている方はいられたと感じました。
私が田中氏を中道というのは右のことも左のことも信じていないという点です。つまりどちらにも荷担していない、あくまでも視点は真実を求めていることです。共同通信時代に世界中のニュースを英文で訳し、集約している内にその中にちりばめられた真実の断片に気付き、いろいろな現象を調べていくうちに「これはちょっとオカシイ」と探っていくうちに現在のスタイルを確立したということではないかと思っています。
第二点目です。「利害関係でモノをみよう」
講師の語った事が真実であるかないか性急に結論を出さず(もちろん出ませんが)「深読み・裏読み」する癖ということが必要であると言うことに気づ かされたことだと思います。それに関しては菅原氏が非常に本質的ないい質問をされました。歴史、国際情勢等を見る上で基準は正義などというものではなくではなく、いったい誰が得をしているのかを見極める 視点が大切なのではないでしょうか。現在起きているイラクを筆頭として、また過去の歴史の様々な出来事に於いてもです。
第三点目です。「習慣は、最初はクモの糸、やがて太い綱になる 」
私たちはだいたい同じ側面からモノを見ているし、総体的には横並びの価値観にあると思います。しかしそれは以前哲学の講義の中で高野教授がいわれた「習慣」にはなってはいないでしょうか?モンテーニュのエセーをテーマにお話しされたときの事です。一度できた習慣は相当強固である。そして人間を縛り付ける。それを防ぐためには極端から極端へ自分に揺さぶりをかける必要があるということです。
学校であるいはどこかで誰かに教えられたとおりに、またマスコミ等が流すとおり信じること、それは「世の中の今おきていること、過去、歴史」を深く考えないという習慣となり、冒頭の言葉のように「習慣は、最初はクモの糸、やがて太い綱になる 」のように変えるのが難しい状況になるんだなと感じました。やはりどんなことも疑ってみるということは考え方の習慣化を防ぐと言うことで大切だと思いました。
第四点目最後です。「被害者はいつも私たちのような普通の人々」
講師の想いは以下のことであったと思います。
「世界の戦争・紛争の一番の被害者は普通の人々あって、政治、民族、宗教等の理屈をつけて対立をあおり、それによって、最大の金儲けのシステムである武力衝突により金儲けをしている。いつでも被害者は私たち、地球上で子供育て普通に暮らしている人たちであること。だが私たちにはそれを防ぐことはできない。しかし、その時代を生きている者としてしっかりと目をあけ、表面上の事象に惑わされずしっかりと起きていること感じなさい。そのためには今まで正しいと信じられてきた歴史も疑ってかかったほうが良い」
以上のように私は理解しております