幹部大学同窓会は9月2日(土)に文学散歩を行いました。
釧路高専の小田島教授のガイドのもと原田康子、更科源蔵、石川啄木の息吹に触れる今回のツアー。大島会長の挨拶の後、参加者が今回のツアーに参加した経緯や期待について語ります。
【参加者への挨拶をする大島会長】
◆更科源蔵◆
詩人。1904〜1985 北海道弟子屈町生まれ。「原野の詩人」と称され、戦前戦後を通じて一貫して生活者の視点で詩や散文を書き続けた。また、アイヌ文化研究、郷土史研究、その他芸術文化の分野でも足跡を残す。
まずは更科源蔵の記念碑や遺品ある弟子屈に向かいます。
【更科源蔵の記念碑】
【更科源蔵について解説する小田島教授】
【更科源蔵の遺品が見れる弟子屈図書館へ】
【参加者はじっくりと見入っていました】
そして、次に原田康子や大町桂月の文学碑がある川湯温泉へ移動。
◆原田康子◆
昭和3年1月12日〜(1928年〜)東京生まれ。釧路市立高等女学校卒。二歳の時から釧路に住む。実家は雑穀卸商兼回漕業で昭和恐慌までは豪商を誇っていた。昭和24年から釧路では先駆的な女性新聞記者となる。「北方文芸」に処女作とみていい「冬の雨」(昭24)、続いて「アカシヤの咲く町で」(昭27)を発表。「北海文学」の同人になってから「遠い森」「夜の喜劇」「暗い潮」「週末の二人」とたて続けに短編を発表した。はじめての長編「廃園」(昭29)のあと「新潮」同人雑誌賞に「サビタの記憶」で応募、最終候補に残って伊藤整の高い評価を得た。
【原田康子記念碑】
【記念碑を見ながら語り合う参加者】
【記念碑の近くには川湯温泉の足湯がありました】
【みんなで足湯に浸かりました】
そして、バスはそのまま摩周湖に向かいます。
【摩周湖にて記念撮影】
そして、更科源蔵の生誕の地である南弟子屈に向かいます。
【更科源蔵の生誕之碑】
【更科源蔵の生誕の場所に向かう参加者】
そして、バスは石川啄木の港文館・啄木下宿跡・小奴碑・啄木歌碑・出世坂・挽歌碑のある釧路に向かいます。
◆石川啄木◆
岩手県玉山村生まれ。1902年盛岡中学を自主退学して上京、与謝野鉄幹・晶子夫妻を訪ねる。 病気で帰郷の後、1905年詩集『あこがれ』刊行。 故郷での代用教員、北海道での新聞記者生活のなどを経て、1910年『一握の砂』出版。 1912年肺結核のため東京で永眠。第二歌集『悲しき玩具』は死後出版された。
【石川啄木港文館】
【展示物に見入る参加者】
【啄木歌碑】
【啄木歌碑を見入る参加者】
★ツアー参加者より「今までは更科源蔵や原田康子の本を読んだことはあったが、実際に遺品や誕生の地を訪問することによって、いっそう深く知るきっかけとなった。今日のツアーに参加して、もう一度釧路の文学について深く学んでみようと思った」等の感想が出されていました。