一般社団法人北海道中小企業家同友会釧根事務所

縄文時代から現代にかけての中標津を学ぶ 南しれとこ支部6月例会


 南しれとこ支部(金曽義昭支部長)は24日に6月例会を開催し、中標津町郷土館の学芸係長の山宮克彦氏が「中標津町の歴史」と題して講演しました。冒頭、挨拶に立った金曽支部長は「南しれとこ支部の中の羅臼町でも条例制定へ向けた動きが活発化しており、地域が新たな局面を迎えていると言える。今日は郷土の歴史を学んで、我々の住む地域の特性を将来のために役立てる機会にしたい」と挨拶しました。

 考古学が専門でありながら、中標津町の歴史や自然などにも精通する山宮氏は「中標津町は琵琶湖とほぼ同面積の町で今年入植100周年を迎える。文献によると江戸時代にはアイヌが定住していたようだが、縄文人などと違って竪穴式住居を作らなかったため町内での居住域がはっきりと分かっていない。特に17世紀以前に関しては記述が無く、実態がはっきりしていない。町内における縄文人の竪穴式住居跡は、日当たりが良く、風当たりの弱い、水場に近い場所で発見されることが多い」と考古学的見地と歴史的見地から中標津町を紹介しました。

 中標津町は今の標津町に近い俵橋地区から入植が始まり、1946年に旧標津村から分村、1950年に町制が施行されました。1950年代の半ばからは国策のパイロットファーム事業が展開され、今日の一大酪農地帯が形成されました。山宮氏は「中標津町には入殖者が利用した『殖民軌道』という軽便鉄道の敷設と、牛の人工授精の成功という二つの日本初がある。中標津町の歴史は交通の変遷と共にあった」と述べました。参加者からは当時の様子などについての質問が相次ぎ、山宮氏は当時の貴重な撮影フィルムを上映するなどして解説しました。

▼「町内の遺跡からは北海道でも珍しい出土品が見られる」と山宮氏

▼解説に聞き入る参加者

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