一般社団法人北海道中小企業家同友会釧根事務所

硫黄山から始まった釧路の発展 幹部大学第5講


 釧路支部は2月6日に幹部大学第5講を開催し、釧路公立大学教授の高嶋弘志氏が「クスリから釧路へ〜釧路発展の歴史〜」と題して講演しました。

 高嶋氏はまず江戸時代の松前藩について説明しました。「松前藩にはエゾ地を管理するという特命があり、アイヌの人々との交易を独占していた。その後商人が藩から交易場所を借りて商売を行うようになるが、次第にアイヌは交易相手ではなく商人の労働力となっていった。会所という商人の事務所の周りにアイヌを強制移住させ、それがエゾ地における村の原型になった」と話しました。また釧路の始まりについて「釧路の会所は今の米町にあった。当時釧路を担当していた商人の佐野氏の屋号が米屋であったことから、そこが米町と呼ばれるようになった」と語りました。

 その後明治に入ると釧路の発展が始まります。「明治17年と18年に鳥取県の士族513人が釧路の北側に移住し、鳥取村が誕生した。また標茶に釧路集治監ができ、全国の重罪犯が収容された。安田善次郎はその囚人達を使って硫黄山の採掘を行い、硫黄運搬のための鉄道を敷設し、春採で機関車の燃料となる石炭の採掘を始めた。硫黄山採掘は明治20年から30年の10年間で終了したが炭鉱だけはそのまま残り、釧路は炭鉱の街として発展していった。昭和24年には釧路市と鳥取町が合併し、釧路は西に向かって大きくなっていった」と解説しました。


           【釧路公立大学 教授 高嶋 弘志氏】

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です